ヌエバカンシオン(Nueva Canción)
1960年代に興り、80年代初頭まで隆盛した、音楽による民衆文化称揚運動。「新しい歌」を意味する。伝統的民衆音楽から着想を得て創作された現代ポピュラー音楽に、社会正義と意識変革を呼びかける詞を乗せて発信された。左派政権の崩壊と軍部権威主義体制の成立、それへの抵抗運動を経験した南米南部が「ヌエバカンシオン」提唱の先進地域であった。チリのビオレータ・パラ(1917-67)ならびにビクトル・ハラ(1932-73)、アルゼンチンのメルセデス・ソーサ(1935-2009)といった歌手/作詞作曲家の作品は、世代・地域・階層を越えて愛聴・愛唱され続けている。同じ運動を指す呼称としては「民衆歌謡」Canto Popular、「必須歌謡」Canto Necesarioなども存在した。キューバにおける潮流は「ヌエバ・トローバ」Nueva Trovaと呼ばれる。
南米南部から呼びかけられたこの運動には、スペイン語圏各地で多くの音楽家が応答した。代表的存在には、ウルグアイのアルフレド・シタロサ(1936-89)、ベネズエラのアリ・プリメラ(1941-85)、ニカラグアのカルロス・メヒア=ゴドイ(1943-)、キューバのパブロ・ミラネス(1943-)ならびにシルビオ・ロドリゲス(1946-)、スペインのジョアン=マヌエル・セラー(1943-)らがいる。ブラジルのトロピカリア、米国東部都市に興ったサルサなどは「ヌエバカンシオン」と軌を一にし、同時代に展開した運動である。「ヌエバカンシオン」は黎明期のロック・エン・エスパニョールとも影響しあった。これら諸運動間には音楽家と楽曲の直接交流もあった。
「ヌエバカンシオン」の音楽家は、中南米各地の伝統音楽を積極的にとりあげる姿勢を保つ一方で、ケーナ・チャランゴ・サンポーニャの合奏による現代ボリビア都市音楽の編成が好まれる傾向が初期には見られ、これらの楽器が伝統音楽に存在しないチリの音楽家たちによっても頻繁に使用された。
社会主義革命運動・成人識字運動・キリスト教基礎共同体運動などを通じて知識人が農村ならびに都市下層の住民と協働した経験を背景に起こった民衆文化称揚の運動が「新しい歌」の背景にある。この価値転換の過程で、「民俗」folkloreという用語にこめられたポピュリスト的国民文化観が批判され、「民衆文化」という用語へと置き換えられた。このため上述の音楽家たちが「フォルクローレ=民謡」の歌手と呼ばれることは、現代ラテンアメリカの知的文脈では、稀である。(石橋)
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